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寒い!ですね。 武久氏のコンサートも近づき、またNECガラコンの投票も佳境に入って参りました。 1月16日(金) 香川県東かがわ市 とらまる座ホール バロック音楽の夕べ 1月23日(金) 東京 サントリーホール小 淡野太郎バリトンリサイタル シューベルト「冬の旅」 2月5日(木) 東京 杉並公会堂小ホール 中村孝志の「これしかない」バロックトランペットで室内楽 3月7日(土) 愛知県 豊田市コンサートホール 武久源造オルガンリサイタル ‥‥ どのコンサートも申し込みは conversum2105@yahoo.co.jp まで。 ガラコンの投票はこちらからできます。 今日は武久氏はアンサンブルのリハーサル。 私はこの2日ばかり超超最悪な精神状態なので、徒然なる思考に耽って、芸術と芸能を考えていました。 もともと芸術という日本語に無理があるのかしら。芸術と芸能の区別がどんどんなくなってしまい、「芸能」を「何とか芸術」協会が管理したり主催したりしていることに触れ、常日頃から気にしていたことでした。 言葉としてはギリシア語から発したもので、あれこれと教義や説がありますが、現代、我々が欲するところの芸術とは、わかりやすく言うと何だろう?って考え始めて、一言で切って捨てるのもいいけれど、今日はどっぷり浸かって考えようとしたのです。 芸能も芸術も、表現したり、見る側を楽しくさせたりと似た作用があるのに、どこを境目にして分かれるのかしら。歌謡曲やマジックは芸能と言われ、クラシック音楽や絵画は芸術に分類される。古い昔は、人が奴隷にならずに生きるための教養として認められたのが芸術だけれど、今や、恋の悩みや明日への不安など、心を縛るものから人を解放してくれるのはラップだったり20歳前後の若い歌手の歌だったりマンガだったりする。クラシック音楽を聴いても何も感じないという人もいる。さて、人類が大切にしなければならない芸術は何をもって成立させ得るのだろう? 人間の心の美しさ、心がそれを感じているのだということを先ず共感し、接している人々の人生を何らかの形で動かしていく。人間としての明るい未来が信じられるという方向に動いていくことなのではないか? それと引き替えに芸術家本人の心は傷つき疲弊して絶望を味わう。そこまで行かないと一条の光が見えてこない。 発狂と紙一重のこの作業を何度も何度も繰り返し、それでも人類は前に進める!と訴えるのが芸術なのかな。 とりとめのない考えに時間を費やしつつ、いつかはうまく説明ができるようになりたいものだと思った今日一日でした。 |
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